「お前に怨みはないよ。けどね、あの方がお困りなんだ。さあ、おとなしくこれを飲むんだよ。」
老婆の手にはどんよりとした黒い液体の入ったコップがある。
それを無理やり、口にあて飲まそうとしていた。
「いやっ!やめて・・・!」
声が震える。
涙が後から後からこぼれる。
なんとか、老婆から逃げようと必死にもがく。が、顎をつかまれ液体を無理やり流し込まれた。
「ゲホッゴホッ・・・ううっ」
「さあ、ここに入るんだよ。」
首根っこをつかまれ、大きい井戸のようなところに入れられる。
「いやあっ!ママッ、たすけてぇ!」
「ママは来ないよ。諦めな。ほら沈むんだ。」
頭に手がきて、押し込められる。
その手をとって、思いっきり噛み付いた。
「ギャッ!何て事をするんだい!子供だと思って、優しくしてやれば!もう、許さないよ!」
両手で頭を押し込まれ、井戸の奥へと落ちていった。
井戸の外、老婆の鎌のような口の歪んだ笑顔が見えた。
「いやあああっ!ママッ!!!」






「嫌あ!!!!」
ガバッと飛び起きる。
全身汗びっしょりで、息もうまくできない。
ゼーゼーと肩で息をしながら、感じていた。
顎を掴まれた感覚、口の中に広がる嫌な苦さ、しわだらけの手に噛み付いた感触。
老婆の歪んだ笑顔。
夢とは思えず、あれが現実にあったことだと、全神経が告げていた。
でも・・・どこで?
いつ?
あの老婆は子供と言った。子供の頃、あんなことなかった。

                

ふと気付けば、体を揺さぶられ必死な顔のセネイが目の前にいた。
「カイリ、カイリ!大丈夫よ!しっかりして?カイリ!」
「・・・あ。」
「ああ、カイリ!気がついたのね。良かった。すごい悲鳴が聞こえたから、びっくりしたのよ。
こんなにふるえて、よほど恐かったのね、大丈夫よ。」
そういいながら、私の頬を優しく拭った。
え?
触ってみてビックリした。濡れている。
私泣いているの?
「さあ、水を飲んで。落ち着くから。」
ロスが水差しから水を注いでくれた。
水を一口飲むと、とても喉が渇いていた。
一気に飲み干す。
私の頬をなでながら、セネイが言った。
「汗をかいたわね。着替えましょうか。それともシャワーをあびる?」
「・・・シャワーを。」
「さ、私につかまって。」
セネイにつかまりながら、シャワーまで歩いた。
まだふらふらするけど、きちんと歩ける、大丈夫だ。
「外にいるからね。着替えはここにおいて置くわ。」
大丈夫よと微笑み、セネイは出て行った。
シャワーを浴びながら考える。先ほどの夢。
初めてみるけど、いつものだと、確信があった。
なぜ?ここにきて、内容が分かるのだろう。
今まで、まったく分からなかったのに。
その後、セネイやロスに心配をかけたことを謝り、ベッドに入った。
夢の内容は話せない。
只でさえ、頭がおかしいと思われているのだ。
これ以上、そう思われるのは控えたい。




あの夢を見たときから約、一ヶ月。
ここが私のいた日本ではないことが、はっきりした。
どうやら、地球でもないらしい。
だって、大陸の覇者サイモンなんて知らない。
聞いたこともない。
この大陸には大小さまざまな国があり、それぞれの文化を育んでいる。
宗教もさまざま、人種も髪の色もさまざま。
只一つ、黒い髪と瞳がない、それだけ。
今は戦もないらしい。
大陸の実権を握っているサイモンの国王様が、戦が嫌いだから。
好きだったら、どうなっていたんだろう。
あれから、色々話した。
そしてお互いに信じるしかないという、結論に達したのだ。
異世界が存在するということを。
ただ、どんなに夢をみても、内容は話せなかった。


                


だいぶ体力も戻ってきて、家の周りくらいなら散歩してもいいと許可をもらった。
ただし、人が見たらビックリするから、見つからないようにと。
だから人の来ない、庭から離宮の庭園がお気に入りの散歩コースだ。
ロスさんは、かなり腕のいい庭師さんだった。
素人目にも、素晴らしいのが分かる。
いつか、フォード先生も言っていた。
「皇太子殿下はロスの手入れした庭を見に、この離宮を訪れる。」と。
そう言わしめるロスさんはかなり若い、人のいい青年だった。
セネイさんより二つ上、私と同い年のロスさんはいっぱしの職人さん。
そのロスさんを支えるセネイさんは、しっかりした明るい美人さん。
本当この二人に拾われて良かったと、しみじみと思う。
あれからフォード先生は、度々私を診察してくれて、その度に色々なことを聞いてくる。
私の両親のこと、生活のこと。
私の年齢を知った時、かなり驚いていたけど。
やはり、日本人は欧米系の人々から見れば、かなり童顔ということみたいで。
ロスさんやセネイさんは、私の年を知っても妹のように扱ってくれる。
実際、何も知らないのだから、とても助かっていますけどね。
そんなことをつらつら考えながら、離宮の奥にある最近見つけたバラの庭園に足を踏み入れた。
バラのアーチを潜ると、色とりどりのバラが迎えてくれる。
品種もさまざまで、見ていて飽きることがなく、時間を忘れて、そこに佇んでいられた。
緩やかな風が流れる幻想的な世界だった。
視界の片隅でカサッと、何かが動いた。
たまに子猫を見つけるので、今回もそれかと思って近づいていった。
庭園の真ん中あたり。
芝の上で寝転んでいる一人の男性がいた。
とても綺麗な人。
それが、最初の印象。
腕を枕にして、天を向き居眠りしていた。

腰ほどまである、ゆるやかなウェーブのかかった銀青の髪をそのまま辺りに散らばらせ、
面長の男らしい輪郭に、大理石のように白く滑らかな肌、たまにぴくぴくと動く長い睫毛、高い鼻筋、
形の良いふっくらとした瑞瑞しい唇。
ゆったりとした服の上からでも分かる、均整のとれた肢体、無造作に組んでいるけれどとても長い足。
靴と靴下は横に転がっていたので、足の爪まで綺麗だった。
それらのことを一瞬で理解した私。
私ってばここまで男に餓えていたの!?いや〜!!と、そのばに、しゃがみこんでしまった。
それでも、盗み見ることは忘れずに。
すると、その体が小刻みに揺れだした。
「ぷっ。あ〜もう駄目。お嬢さん面白すぎ。俺ってばそんなに、お嬢さんのタイプなの?」
笑いながら上半身を起こした彼は、とても低いいい声をしていた。
「ここで人にあったのは初めてだな。」
ちょっとビックリしたなと、微笑んで私の非礼を許してくれた。
「あ、私も初めて人に会いました。先ほどはごめんなさい。私もビックリしたものだから。ついつい。」
彼に見習って、微笑んでみる。
警戒していた雰囲気ではなかったけれど、それでも暖かくなったのは分かった。
「ここにはよく来るの?」
「ええ。最近良く来ます。私のお気に入りの散歩コースなんです。」
「俺もよく来るけどさ。・・・あんたさ、怒られたりしないの?見つかったらさ。」
「あ!そういえば、人に見られないようにって!どうしよう!あ、あのっ、誰かに知らせます?」
「まあ、俺も忍び込んでいるから、言わないよ。」
「良かった、じゃ二人だけの秘密ですね?」
「ああ。」
良かった〜。
セネイさんにばれたら、すごい怒られるに決まっているもの。
私の事を心配してくれているのは分かっているけど、この歳で怒られるのは勘弁したいものがあるからね。
「俺もヤキが回ったよな。秘密って歳じゃないんだけどな。そういえば、俺はイザークっていうんだ。あんたは?」
「イザークさん?私は、カイリといいます。」
その時だった。今まで流れていた空気が、いきなり張り詰めたものに変わったのは。
イザークさんの顔が、強張っていた。
「・・・・カイリ・・・?」
信じられないものを見るように、私を睨み付けている。
「・・・あ、あの・・・イザークさん?私・・・何か?」
「いや、何でもない。忘れてくれ。」
ハッと気付いた彼は、視線をそらしながら、そう言った。
なにか、とても居心地が悪い。
どう見ても、私の名前が原因としか、考えられない。
なにか、不吉な名前なのだろうか。
でも、ロスさん達には、そういうものは見られなかったけれども。
いったい・・・。
「・・・今、あんたは何処に住んでいるんだ?」
「え・・・?やっぱり、知らせるんですか?」
それは、とても困る。
さっき約束したのに。
しかも名前まで、知られている。
「いや違う。見たところあんた、この国の人間じゃないだろう?
だから、どこかで世話になっているんじゃないかと、思ってな。」
「ごめんなさい!わ、私帰ります!ここで、会ったことは誰にも言いませんから!」
そこから走り出し、逃げ出した。
「あっ、おい!ごめん!脅かすつもりじゃなかったんだ!明後日俺ここにいるから、あんたも来いよ!いいな!」
そんな声が聞こえた。


              


思いっきり走っている所を、ロスさんに見つかり、セネイさんと二人で、結局怒られた。
次の日は、外出禁止。
昨日の全力疾走がかなり効いていて、すごいだるかった。
体力戻ったと、思っていたのにな。
まだ、無理は出来ないということですか。
部屋でぼんやりしていると、考えることはあのイザークという青年のことばかり。
最初の柔らかい微笑と、急変した態度。
何のことかさっぱり分からないけれども、また来いと言ってくれた。
私も、もう一度、彼に会いたいと・・・思う。
明日は外に出られるから、遠くからでも覗いてみようかな。

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