いつものように仕事に行き、いつものように帰ってくる。
その生活パターンは崩れていないけれど、何かが崩れてきているのを、私はどこかで感じていたと思う。
気にしないようにしていただけで・・・。

              

最近仕事のミスが多い。ちょっとした誤字、計算ミス、はっきり言って自分が信じられなかった。
上司にまで、「最近どうしたの?新人よりミスが多いよ。信頼しているんだからさー、調子とりもどしてよー?」と、
言われてしまった。
私のことを何かと目の敵にしていた人なのに・・・。
自分のデスクに戻って、ため息をついたとき横のさゆりに、声をかけられた。
「ちょっと、海里大丈夫なの?あいつにまで心配されるなんて、この世の終わりよ?何か溜め込んでるの?ん?
お姉さんが聞いてあげるよ?」
「ん、ありがと。じゃ、今日いい?」
「おっけ。いつものところね?」
「ん。」
二人で笑いあって、気を取り直して仕事に向かう。
笑ったのがよかったのか、その日はもうミスは出なかった。


               


定時で上がり、着替えてさゆりといつものところへ。
いつものところは、二人気に入りの居酒屋さんだ。その名も『いつものところ』。
まずはビールで仕事上がりの乾杯。
ミスだらけの私には、資格はないかもしれないけど、美味しかった。
「で、海里本当にどうしたの?」
さゆりが、真剣に聞いてくる。本当に心配してくれている。彼女は私が心を許せる、数少ない友人の一人だ。
「うん、それが・・・ね。夢見が悪いの。」
「は?」
「ごめん。こんな理由で。でもここの所そんな感じでよく眠れないのよ。
二時間くらいで起きて、後はそのまま朝まで寝れなくてね。」
「どんな夢をみるの?」
「それが、分からないの。」
「分からないのに、悪いって分かるの?」
「うん、あ、またこの感じってくらいだけど・・・。飛び起きるの。そうすると、全身すごい汗でね。
またかって、思うんだけど。」
「そっか。・・・何か悩みとか、心当たりは?」
「今の所は・・・無いと思うんだけど・・・。この夢以外ではね。」
「そうだね。このことって誰かに話したことある?」
「ううん、ない。さゆりが初めて。」
「そうか。・・・じゃ、明日休みだし今日思いっきり飲んで、酔って寝てみれば熟睡できるかもよ?」
「・・・そうしてみようかな。」
「じゃ、忘れて改めてかんぱ〜い!」
「かんぱい。」
さゆりの笑顔を見ていると、心が和む。いるのよね、天性で和ませてくれる人。
まさに、さゆりがそれに当てはまる。
久しぶりに肩の荷が下りた感じで、ほっとした。
とても楽しかった。
さゆりが、笑った気がしたけれど、気のせいかな。


              


はっと目が覚めた。
飛び起きてみると、そこは見たこともない部屋だった。
・・・なんて、小説ではよくあるけど、まさか自分の身に起こるとは、思いもよらなかった。
とりあえず分かるのは、私の部屋ではなく、日本風でもなく、西洋風な間取りの質素な部屋だった。
私はというと、結構やわらかいベッドにいて、体はどこも痛くない。
けど、着ている服が違った。
ネグリジェみたいなのを、着ている。確か、ラフなパンツスーツだったような。
それで、さゆりと居酒屋で・・・。
さゆり?
さゆりは!どこ?
慌ててベッドから出ようとしたら、失敗した。ベッドから落ちたのだ。
体は痛くないのに、いうことを聞かない。足がほとんど動かなかった。
その事実に呆然とした。
私がベッドから落ちる音が響いたのだろうか。ドアの外。廊下の方からバタバタと足音がしてきた。
ドアを見ていると、勢いよく開き、見たこともない人が数人、入ってきた。
「大丈夫か?いきなり動いてはいけないよ。ああ、落ちた時にどこも、傷めてはいないね?
さあ、ベッドに戻るんだ。」
そういいながら、若い男の人が、私をベッドにもどした。
「大丈夫?あなたはずっと、目を覚まさなかったのよ。いきなり動いたりしては、体がビックリしてしまうわ。
大丈夫よ。安心して?色々聞きたいこともあるけれど、まずは診察をうけてちょうだいね?先生。」
「ハイ、失礼しますよ。」
とてもやわらかい笑顔の女性にそう、微笑まれたら何も言えない。
先生と呼ばれたやさしそうなおじいちゃんが、私の腕をとり、脈を診ている。
色々と診察を受けている間、女性はニコニコとずっと私を見ていた。
診察が始まったと同時に、男性は部屋から出て行った。何も言われずに部屋から出て行く、
男はこうありたいね?・・・ちがうだろ、私。
「今診た所では、これといって異常はないね。大丈夫だよ、お嬢さん。」
先生がそう言った。
「でも、さっき足が・・・。」
「ああ、それはずっと寝ていたからね、彼女も言った通り体がビックリしたんだよ。体力も落ちているからね。
なに、ゆっくり体力を戻せばいいことだよ。じゃ、呼んでくれるかい?」
「はい。」
最後は、彼女に向けての言葉。ドアをあけ、先ほどの男性を部屋に呼び戻す。
彼の手には、飲み物と食べ物があった。
「ずっと寝ていたからね、お腹すいたろう?まずは、やわらかいのからね。」
先ほどの女性がベッドのうえに、テーブルを置き、彼から受け取った飲み物と食べ物を置いた。
「ゆっくりと食べてね?」
可愛らしい笑顔でそう言ってくれたが、もう私は食べ物しか見ていなかった。
食べ物をみたとたん、お腹がすいたのだ。さゆり、ごめん。まずは、ご飯だよ。
飲み物も食べ物も初めてみるもので、でも、口をつけたらとても美味しかった。
刺激の少ないやわらかい味で、まるで彼女の笑顔のようだった。
全身に水分が回っていく感じが、手に取るように分かった。
・・・そして、何故か懐かしかった。
三人はそんな私を、微笑んで見ていた。
「それだけ食べられれば、もう大丈夫だろう。」
先生は笑って言いながら、私の頭をなでた。
恥ずかしかったけど、頭をなでられたのは何年ぶりだろう。
三人は頷いて、まず男性から話し始めた。
「ではお嬢さん、自己紹介から始めようか。私はここで庭師をしているロスという。彼女は私の妻でセネイ。
そしてこちらが、医師のフォード先生だ。さて君のことを、話してもらおうか。
なんで、あんな所で倒れていたのかを。」
・・倒れて?
「あ・・・あの、私倒れていたんですか?」
「ああそうだよ。海岸に倒れていたんだよ。セネイが見つけてね。それで、ここに運んだんだよ。
覚えていないのかい?君はもう、一週間寝ていたんだよ。」
一週間も?海岸に倒れて・・・?
「わ、私木下海里(このしたかいり)、えっと海里と言います。
友達と仕事帰りにお酒を飲んだところまでは覚えているんですけど。
そこから先が、分からないんです。あのー、私以外にもう一人倒れていませんでしたか?」
「私が見つけたとき、貴方一人だったわ。カイリさん?」
「・・・そうですか。」
セネイさんが申し訳なさそうに、言葉をつむぐ。
美人はどんな表情も似合うって、本当ですね、さゆりさん。
さゆり。貴方は、いまどこにいるの?
「さて、カイリさん、聞きたいことはまだあるんだ。君のその、髪や瞳はホンモノ?」
「は?」
ロスさんの、質問の意味が分からない。
確かに、いまどきの若い子と違って、髪は染めていないけど・・・。
「いやね、この国の人間で黒い髪や瞳はいないんだよ。
最初見たとき、ビックリしてね。瞳まで黒いので、驚いたよ。」
ロスさんは、笑いながらいった。黒い髪や瞳はいない?じゃ、初めて見る色なんだ。
「・・・気持ち悪いですか?」
おそるおそる、聞いてみた。
ビックリしたように、セネイさんが叫んだ。
「そんなことないわ!とても綺麗よ!初めて見たけどとても綺麗だわ!貴方にとても合っているわ!」
「セネイ落ちついて。確かに、驚いたけど気持ち悪くて驚いたんじゃないよ。
あまりに、綺麗で驚いたんだよ。カイリ、大丈夫だよ。先生もそう思うでしょう?」
「ああ、お嬢さんにとても合っているよ。綺麗だよ。」
「あ・・・ありがとうございます。」
ひゃ〜、恥ずかしい!!!
今まで生きてきたなかで、綺麗だなんて言われたの、初めてだから嬉しい反面、めちゃくちゃ恥ずかしかった。
「ところで、ここはどこですか?」
はたと、気付いた。ここってどこだろう。
「ん?サイモン王国皇太子殿下の離宮だよ。君は殿下のプライベートビーチに倒れていたんだよ。」
「サイモン王国?・・・日本じゃないの?」
「ニホン?ニホンてなんだい?」
「え?」
四人の間に、微妙な沈黙が続いた。
その沈黙を破ったのは、医師のフォードだった。
「そろそろ、疲れてきたんじゃないかな?今日はここら辺にして、少し休もうかな。
さ、お嬢さん横になって疲れたじゃろう?ロス、いいかな?」
「はい、分かりました。じゃ、カイリまたゆっくり話そうね。」
「また後で、様子を見に来るわ。」
と言って、三人は出て行った。
・・・サイモン王国?初めて聞いた国名なんだけど。そりゃ、世界中の国名を言えるかと聞かれれば、言えない。
でも・・・。
そういえば三人とも、色は微妙に違ったけど、金髪だった。
この間まで日本にいて、知らない間に外国にいるって、やっぱりおかしいよね。
普通じゃないよ。しかも、海岸に倒れているだなんて。
皇太子殿下のプライベートビーチっていってなかったけ?
そんなところに倒れていた、得体の知れない私をよく通報もせずに助けてくれたよね。
人がよさそうな夫婦だったな。
あの先生の言うとおり、とりあえず今は体力を回復しよう。
すべてはそれからだ。
さゆり。
貴方と別れた記憶がないよ。
あなたは今、何処にいるの?

「先生。彼女大丈夫ですか?サイモン王国を知らないなんて。」
ロスは不安げにフォードに尋ねた。
生真面目なロスの顔には、若いのに可哀想にという思いが、ありありと見てとれる。
本当にこの若者は・・・。苦笑しながらフォードは答えた。
「まあ、落ち着け。お嬢さんは嘘はついていないと思うよ。それは、大丈夫だ、わしが保障するよ。
殿下がこちらに来てなくて、助かったよ。でなければ、彼女は即捕まっただろうからな。
とりあえず、今は彼女の体力が先だ。可哀想と思うなら、よくしてやってくれ。」
ロスの肩をたたきながら 、大丈夫だ、安心しろと、フォードは言外に伝えた。
安心したのか、ロスは晴れやかな笑顔で頷く。
「セネイ、まかせたよ。わしも、様子を見に来るからな。支えてやってくれ。」
「はい、先生。」
セネイは、柔らかな笑顔で返した。
ロス達と別れ、フォードは歩きながら考えていた。
黒い髪に瞳、さらに名前がカイリ。
・・・まさかな。
年も違いすぎる。
しかし、彼女はなんと言った?
仕事帰りに酒?
そのような年には見えんが・・・。ふむ。
年齢を聞き忘れてしまったな。今度聞くとしようかな。
本格的に調べてみるか。
彼女の事を。 


               


ドアをノックする音がする。
「入っていいかしら?」
セネイさんの声だ。
「どうぞ。」
ドアを開けると彼女は満面の笑みで入ってきた。
「少しは休めたかしら?ごめんなさいね?うちの人せっかちだから。」
「あ、いいえ。大丈夫です。こちらこそ、ご迷惑をおかけして。」
「いいのよ。拾ったのは私だもの。拾われた貴方に責任はなくてよ?」
迷惑じゃないから大丈夫よ、というその心遣いが嬉しかった。
ベッド脇のテーブルに新しい水が入った、水差しを置いてくれた。
椅子に座り、セネイさんは微笑みながら、私の顔をまっすぐに見る。
「色々と考えることがあると思うの。でもね、時間は逃げないわ。まずは、体力を取り戻しましょうね。
大丈夫よ、フォード先生は名医ですもの。あの人あれでも、皇太子殿下のお抱え医師なのよ。
口も堅いから大丈夫よ。」
だから、あなたはなにも心配しなくてもいいのよと、頭をなでながら笑ってくれた。
それは、ありがたいんですけど・・・なんで、頭なでるの?
「あの、私もう頭をなでられるような年齢ではないんですけど・・・。嬉しいんですけど、でもね?」
「え?カイリ今いくつなの?」
「25になりますけど。」
「・・・え?!」
セネイさんが、ビシッと固まった。
「セネイさん?」
「ああ、ごめんなさい!もっと若いと思っていたわ。17歳くらいかと思っていたものだから。」
「17・・・。」
確かに日本人は、若く見られがちだけど、そこまで・・・。
「いや、若いのにしっかりとした話口調だなとは、思っていたのだけれど。私より、二つ年上だったのね。
ごめんね?」
ごめんね?と首をかしげた笑顔がとても可愛くて・・・!
もう、許すに決まっているじゃない!
「ううん、気にしないで?」
「ありがとう。まだしばらくは、ベッドでの生活だけど、二・三日したら、歩く練習始めてもいいって、
先生がおっしゃっていたわ。それまで、ゆっくりしてね?」
「はい。」
「このベルを預けるわ。なにか用があったら、これを鳴らしてね?」
テーブルの上にコトンと、可愛らしい銀色のベルを置いた。
「それじゃ、また後で。」
セネイは微笑みながら部屋を出て行った。
とりあえず、疲れたので寝よう。
一週間寝ていたはずなのに、このダルさは何なのだろう。
その前の睡眠不足を体が求めているかのようで、即熟睡してしまった。

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