俺に笑いかけ膝に乗ったあの瞬間から、森李は俺から離れなくなった。

森李が「死」という概念を理解しているかは、分からない。

ただ、一度も親に会いたい、何処に行ってしまったのという言葉はなかった。

その代わり俺がどこかに行こうものなら、カルガモの子供のようについてきた。

風呂や寝るのが一緒というのは構わないが、トイレにまでついてきたのは本当にまいった。

叔母の美智子に言わせると、「どこかでもう親がいないのを分かっている。そして、自分が一人ぼっちであるということも。だからあなたがどこかに行ってしまうのではないかと、ひどく敏感になっているのだと思う。あの子が、自分が一人ではないと分かるまで、ずっとそばにいてあげて」だそうだ。

俺が初めて見た森李は泣き疲れて寝ていたが、あれは悲しくて泣いていたのではなく、いくら呼びかけても起きない両親に癇癪を起して、泣き叫んだあとだそうだ。

その姿を見たときに、伯父たちは森李の心のケアをどうするかで、相談し俺に丸投げにするという強硬手段にでた。

これから一緒にいる人間がした方がいいということで。

だから、喪主という立場にも関わらず俺の仕事は森李一本に決まったそうだ。









告別式が終わっても美智子叔母だけは残ってくれ、あれこれと手伝ってくれた。おもに、育児について。

それも5日もいてくれたが、昨日帰って行った。

今日から本当に、森李との二人暮らし開始だ。

そして今日から幼稚園の復帰である。いきなりハードル高すぎ。

どうなる事やら。









朝目覚めた時俺がいないとパニックになるので、何処に行くにも森李を担いで移動するのが俺の日課になった。

毛布にくるんで、キッチンの椅子に寝かせて俺は朝食作りだ。森李は子供らしく、人参とピーマンが嫌いだ。

俺は朝はパン派でなく白いご飯派だ。

目玉焼きにのり、納豆に味噌汁、これぞ立派な日本の朝ごはんだろう。

味噌汁はインスタントだが、これは我慢してもらうしかない。

男の手料理なんてしょせんこんなもんだ。

テーブルに並べていると森李が匂いにつられて目覚め始める。

ついでにクーと可愛い音もしているし。

森李は目をこすりながら俺の気配を探し、俺を見てにぱっと笑う。

あ〜本当に可愛い。

「おはよう森李」

「いちはちゃん、おはよ〜」

「さ、ご飯を食べて。今日から幼稚園だからな?」

「うん!」

いただきますと手を合わせ、二人でかっこむ。

一人暮らしが長かったから、誰かと食べるご飯がこんなに美味しいものだったとは、しみじみと実感してしまう。

森李を園服に着替えさせ、トイレに行ってから家を出る。

歩いて10分ほどのところにある「ひまわり幼稚園」が、森李の通っている所だ。

驚いたことにここは、なんと俺が卒園したところでもあるんだよな。

まだあったんだと、びっくりした。

手をつないで歩いていると、パラパラと同じ目的の親子が出てくる。

森李は笑顔で挨拶しているが、俺はひきつりまくりだ。お母さんたちの視線が痛い。

殊更ゆっくり歩いているのに、お母さんたちは俺たちを追い抜いていこうとしない。

なんなんだ、いったい。









園が見えてきた。入口で若い先生と貫録のある女性が・・・・園長先生だ。

せんせいおはよ〜、えんちょうせんせいおはよ〜ございますっ!

と、子供たちの無邪気な声が聞こえてくる。

俺に気づいた園長先生が笑顔で近づいてきた。

「森李ちゃん、おはよ〜」

「えんちょうせんせい、おはようございますっ!」

森李の頭をなでながら顔色を窺うように、笑顔で相対する。

園長先生は納得したのか、俺に視線を合わせてきた。

「一葉くん、この度は・・・」

と、頭を下げようとするので。あわてて止めた。

「え、園長先生もういいですよ、大丈夫ですから。それに、お通夜に来てくださったじゃないですか」

「まあ、そうなんだけど。・・・森李ちゃんの様子はどうだった?」

「一応、俺がいれば大丈夫です」

そう、これからなのだ。

森李がどうなるか。

まだ笑顔でいる森李。

これからのことが分かっているのか?

不安だが仕方がない、腹に気合を入れる。

よし。

「じゃ、お願いします」

「はい、確かに」

森李の手を園長先生の手に乗せる。彼女はしっかりとつかんだ。

「じゃ、森李行って来い」

笑顔でいうと、そこで初めて森李の表情が変わった。

「・・・・・いちはちゃん?」

「さ、中に入りましょうか?」

と、園長先生が中に促すが、森李は俺を見たまま固まっていた。

信じられないものを見たような顔で。

「どうした、行かないのか?ん?」

「いちはちゃんは・・・?」

「いつもお前一人で入っていくだろう?俺は入らないよ」

やはりなと思いつつ、頭をなでてやる。

だってとか、でもとか、言いながら片手で俺の服を握ってくる。

それをやんわりとはずしながら、

「大丈夫、俺はちゃんと迎えに来るから。だから、いつも通り行って来い。な?」

言ってみたが。

今度は抱きついてきた。足に絡みついて離れようとしない。

園長先生もいろいろ言ってくださったが、どうしても離れない。

先に負けたのが園長先生だ。

ふーと溜息をつきつつ。

「一葉君、事情が事情だからもう少しお休みしても構わないわよ?今はね、無理強いはあんまり好ましくないのよね」

と、言う。

もしかしてお手上げ状態?

甘いな〜と、思うけど仕方ないよな。

だってまだ5歳だ。

もう少し心のケアをしますか。

「ただね、毎日顔を見せに来てほしいの。それで、いけそうだったらそのまま入ればいいから」

という、譲歩案を園長先生が出してくれた。

「森李分かったよ、今日は帰ろう」

すると抱きついていた腕が少しゆるんだ。その隙に抱き上げる。すると首にしがみついてきた。

少し震えているようだ。

まだまだみたいだな・・・。







園長先生に挨拶してその場を去る。

と、ずっと俺たちを見ていたお母さんたちが園長先生に群がって行った。

どういうことだ、甘いんじゃないか、うちの子の時は、なんて言葉が聞こえてくる。

うちの子の時はって、母親がいる時点ですでに事情が違うじゃないか。

どうしようもないな。









今日は森李が幼稚園に行っている間、家に行き引っ越しの準備をするはずだった。

そのあと編集者にあって・・・・の予定なんだがな〜。

森李も連れて行くか。

「森李、これから家に帰ってそしたら、少し出かけるぞ」

いつの間に泣いたのか、目に涙をためながら何処に行くんだと、睨んでくる。

「俺の家に行って引っ越しの準備だ」

これからずっと森李と一緒にいるんだから、俺の荷物をこっちに持ってこないとな。

と言ったら、笑顔で抱きついてきた。

こういう素直なところがたまらないよな。







とりあえず、幼稚園というハードルは思っていた以上に高かった。

いつ超えるのやら。

超えた後にはあの母親たちの視線が待っているのかと思うと、めげそうだ。

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